≪紀行文≫ |
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〜〜〜旧所名跡を巡り、思い出に残る山旅〜〜〜 |
源平の壇ノ浦の合戦で船上の扇の的を見事射抜いて名を馳せた那須の与一の出身地、那須野は名族那須氏の領地でした。
那須連山の麓の広大な那須野を牧場として育った牛馬は牧草の中に生える山つつじの類が実は毒性植物であることを知っていて食べ残したことが、源平の世から現代まで千年余の時を経て、20万株の山ツツジの大群落を形成することになりました。
ジャストミート!で咲き揃う山ツツジの回廊を今日はゆっくり巡ることができました。
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左も右も花つつじ花つつじ
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嗚呼!見事。 |
展望台へ |

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嗚呼!見事。 |
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次はこっちですよー! |
(集合写真)つつじ展望台にて |

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匂いするかしら?
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今日一の難路を下る |
定番!Kさんの野点 |
那須野の原の一画にある四阿(あづまや)でランチタイムになりました。
定番のKさんの野点もありました。
ランチの後は那須谷に懸る大吊り橋を渡りました。
足元が透けて見え、吊り橋がゆらゆら揺れる度に肝を冷やしてスリル満点でした。
(俳句)
噎せかへるやうな新緑バス登る
山つつじ二十万余の花万朶
那須谷の吊り橋揺らす風五月
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ツツジ回廊の狭き門を |
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牧場みたいな |
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いざ!大吊橋へ |
(集合写真)つつじ吊橋にて |
由来書によれば昔、鳥羽の院が寵愛した玉藻の前が実は九尾の狐の化け物であることを陰陽師に正体を見破られて逃げたが、那須の地でついに東国武士に討伐されて殺生石になったのです。能にも謡われ国の名勝となった殺生石が22年3月に突然真っ二つに割れたのです。これは「吉兆かそれとも…」と中日新聞に掲載され、ウクライナ侵攻と重なった為、封印を解かれた九尾の狐の復活か?と憶測が様々飛交ったとか。
遊歩道に沿い二つに割れた殺生石を見学し、記念撮影に収まりました。遊歩道を登り延喜式内社の温泉神社を参拝して旅の終りとなりました。行程は予定通り、ちょっと早く新潟に着きました。
今日は一日旧所名跡を巡り、思い出に残る山旅が出来ました。
引率のリーダーさんありがとうございました。参加された皆さんもお疲れ様でした。(おわり) |
(俳句)
芭蕉杖止めし石突(とつ)割るる春
式内の温泉(ゆ)の神の宮風薫る
晴れて来し奥の会津の遅田植
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荒涼とした賽の河原を歩く |
寂光の仏たち |
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割れた殺生石 |
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温泉(ゆ)神社へ
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(集合写真) 名勝殺生石に |

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俯瞰図のよう
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由緒と格調の延喜式内社 |
芭蕉句碑「石の香や夏草赤く露暑し」とて |
《出会った花》
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ズミ
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山ツツジ |
キの絮 |

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サラサドウダン
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ドウダンツツジ |
ロヤシオ |
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